人と人とのご縁は勿論のこと
物との出逢い 仕事との出逢い
情報との出逢い...
日々様々な出逢いを経験するわけですが
ここには、自分の意思だけでなく
偶然に見せかけたかのような
なんだかの力の引き合わせが
存在するようにさえ感じます。
「たまたま」「偶然にも」
「なんかしらんけど…」
そんな風に感じる出逢いこそ
自分の意志や、人間関係
時間的な常識を超え
そんな稀有なストーリーを経てまで
出逢う意味があるのかと感じたり
だから、大事にしたいし
実際そのように感じざるを得ぬ体験を
よくさせられます。
また、人だけでなく
物にしても仕事にしても
すべては振動するエネルギーであり
波動的に解釈すると
同じ様な波動レベルのものが
引き合うのも事実です。
そう考えると、死滅を伴わない別れは
波動的に異なったから
合わなかったからとも言えるわけで
悲しみや喪失感だけを感じたり
ましてや相手を悪く思ったりする必要は
全く無いように思います。
良くも悪くも、別れもまた
波動レベルの違いや
自然の摂理にそった出来事の一つ
そう思うからこそ
例えば目の前を去ろうとする人を
無理に引き留めようとは思いません。
「波動的に何か異なったんだな~」って
これって法則ですから
ただ受け入れるのみ。
自分の至らなさが招いた別れの場合には
勿論反省も必要ですが、それも経験。
何事にも心をつくし
大切にはしたいと思いつつも
執着はしない、そっと見送るのです。
また新しい理論の商品や
素晴らしい情報が入ってきたときに
「あの方には、扱えないだろう」とか
「我々が扱う商品ではない」とか
感じる場合もあります。
それはデーターや物理的な判断に加えて
その物と人のエネルギーともいえる部分が
波動的に違いすぎる場合です。
余談ですが、ただじっと
その本質や事の流れを見つめると、
何故そうなってしまったか
何故そうなるのか
またその商品や情報の
データーでは読めないけれども
確かにあるエネルギー的な物が
透けるように
よくわかったりするものです。
「良い出逢いに恵まれたい」
もしそう思うなら
自分を高めればいい
「好まない出逢いや出来事ばかりだ」
もしそう感じるなら
自分の波動域が下がっているから
様々な人、グループ、物、仕事、情報...
ご縁に感謝しつつ、ご縁を楽しんで
ご縁の流れに逆らわず...
そして何よりも
縁の質そのものを変えるのは
自分の生き方、考え方次第だと
そう思うのです。