当たり前の事ですが
人ってそれぞれに、考え方が違いますよね?
でも違う事はわかっているつもりでも
本当にその違いを理解し
受け入れられるのかとなると
時にはシビアな場面も
あるのではないでしょうか?
例えば「愛」は、おそらく誰もが
素敵な感情だと捉えているかと思いますが
十分な「愛」を与えられずに育った子供には
「愛」がどんなものかなど
実際にはわからないのかもしれません。
その子の捉えている「愛」という感覚と
貴方の感じる「愛」は
おそらく同じではないでしょう。
その感覚の違いを、いったいどこまで
理解できるでしょうか?
文字にすると同じ単語
例えば「愛」であったとしても
また同じ状況を、一緒に経験したとしても
その感じ方、意味役割や
そこから広がっていくその感情の行先は
まさに人それぞれ...
「なんでそうなるの!」
自分にとっては、カチンとくるような発想も
その方には何の悪気も無かったり
「わかる、わかる」とは言ってくれたものの
経験や性格の違いからか
その思いの浅さ、軽さを感じてしまったり
説明してもしても
感覚的には分かり合えない
交わらないと感じる事があったり
自分には溢れるほどに味わえる情感が
いまひとつ相手には感じてもらえなかったり
当たり前だと思う感情が
あの人には理解不能であったり
とっても大事にしたい思いが
煩わしいものでしかなかったり
また、立場が逆の場合もしかり...
相手の言動や感情そのものの違いを
どうこう言い嘆く前に
せめて その感情の出所を
じっくりと見つめてみる事は
その方の置かれた状況だけではなく
生きてきた背景や生き様をも
受け入れる理解に繋がるのだと思うのです。
そしてその違いを受け入れようとする想いは
自分自身の視野を広めるだけではなく
懐を深める愛の拡大そのものに
繋がると そう思うのです。