例えば、自分とは違ったタイプの
自由奔放、ちょっと無責任にさえ思える
ハチャメチャだけど、凄く楽しそう
そんな風に生きている友人を見て
「いいな、あんな生き方もかっこいい!」と
素直に称賛のエールを送れるのか?
「いい歳してやりたい放題、お気楽な奴め!」と
自分の抑え込んだ欲望を
嫉妬に変えて投げてしまうのか?
例えば、自分よりも出世して
富も人望もあるように思える友人を見て
「蔭ではきっと、凄い努力があったに違いない。素晴らしい!」と
「大した実力も無いくせに、運がいいだけ。偉そうに!」と
自分の苛立ちを、批判に変えて強がってみるのか?
ほとんどの方が、多かれ少なかれ
似たような感情を、味わった事がある
または理解できると思うのですが
その素直に喜べない、相手を批判したくなるような
「チエッ!」と心乱されるような
感情の裏側にある
プライドやトラウマや、思考の癖や
またその時の心理状態に
ハッと気づいているでしょうか?
こんな風に感情が乱れるのは
多くの場合、相手が原因ではなく
そこに反応してしまう自分自身の内面の問題です。
軽度の場合は、まあともかくとして
振り返ってみると、いつも同じような内容、場面で
心乱れていませんか?
実は言われて、見せられて
「イラッ」とする点、「チクッ」とする点は
比較から生まれる、ねたみやひがみや
自分自身で少しわかっていながらも
素直には認めたくない
邪魔なプライド、思考の癖
または未消化の不満、トラウマ
邪魔なと申し上げたのは
それをうまく原動力に変えられる場合もあるわけで
プライドも使い方次第という意味です。
ねたみやひがみで他者を攻撃し得たものに
いかほどの価値があるのでしょう?
そのプライドや意地は
いったい、何を守っているのでしょう?
そのトラウマは
何の為、まだ背負っているのでしょう?
自分の感情の出所に気づき
自分自身をより深く見つめ、知り
そしてしっかり受け入れる
別に立派な人を志そう!...という事でもなく
そうすればもっと、心穏やかに
楽になれるのに
もったいないな~と思うのです。
そして本当の意味ではそれが出来てこそ
他者をもゆがめることなく知り
そのありのままを
受け入れられるのかもしれません。
そんなのどっちでもいいという方も
個人の生き方なので、別にOKなのですが
「受容」が自身の幸せ感を増すという事は
間違いないと思うのです。